徒然なるままに


★書き分ける力 2022.12

 

 駆け抜けた2022年が終わろうとしています.今年も様々なことに思いを巡らせてしまいましたが,徒然なるままに,ここに書き散らすことができなかったのが少しもどかしかったです.
 私がふと書き散らしたくなるのは「新聞を読んでいる時」が一番多いように自己分析します.本当は,その標的となった記事の内容を誰かと議論してみたいけれど,そのような機会もなかなかなく…自分が何故そのような思考に至ったのか,を(他人の目が入る)ここで書き表しながら,やはり自己分析しているのだと思います.
 うまいかどうかはさておき,恐らく私は文章を綴ることは好きな性格なのかな,と.”正しい”日本語への妙なこだわりも持ってしまっています.そのようなために,普段目にすることが多い”学生の文章”が少々気になってしまったりします.LINEやチャットに慣れ親しんでいるであろう世代のレポートやメールの中には,社会では通用しないだろうなと感じる”意味が相手に正しく通じない中途半端な文章”が散見されます.意味がどちらともとれる文章,相手を不快にさせかねない(けれど本人は気遣っている)文章,読み手を置いていって内容が大きくうねってどこかへいってしまった文章etc...

 偏見もありますが,普段あまり長い文章を書く機会がなく(自分の思考や気持ちすらも),文章も「文章」ではなく単語だけの言葉のやりとりが多いからだろうか,と.先頃,新聞の投書欄にも似たような内容が掲載されていましたが,手紙(長文)に慣れた世代には,チャット等の短く敢えて中途半端な文章は奇異に見えるでしょう.その逆も然りでしょうか(そんなに長くかかなくても相手に伝わるのに,みたいな).

 両者の利点を知りつつ,書き分けられるのが一番と思っています.とりあえず願わくば,チャット主流世代は,少しでも長い文章を複数の段落で書く経験を是非もっと…(おススメは日記?).新年は3桁の数のレポート読みから仕事が始まる宇津川の呟きでした.
 皆様にとって,来年もまた良い年でありますように.


★花の香り 2022.9

 

 「お香」に何となく敷居の高さを感じていたのですが,ある日とある雑貨店で目に留まったものはさほど縁遠い代物には見えず,試しに使ってみることにしました.十数種類ある香りのなかから1種類だけ,と吟味して最終的に選んだのはりんどうでした.見た目の青紫色にも惹かれましたが,香りがしっくりきました.実際のりんどうの花の香りは知らないのですが,こうだったらよいなと思えるもので気に入っています(ちなみにりんどうの漢字「竜胆」に力強さを感じます.お香の香りはそう強くはありませんが)

 外に出ているときにふと花の香りに出逢うと,一年の節目といいますか,年中行事のひとつのように思えることがあります.沈丁花や梔子はクセがありますが日常生活に小さな刺激をもらえます.年明けの夜に梅の香りがわかるとようやくの春が来るとわかってとても安堵します.

 この9月は公私ともに外出が続きました.ひと心地ついて,久々にりんどうのお香を焚こうと思ったのですが,部屋の窓を開けると,お隣さんの金木犀がほころびかけていました.今はその香りを楽しんでいます.毎年,金木犀が満開になった頃を狙ったように強雨が花をさっさと散らしてしまうのですが,今年はどれくらい保ってくれるか……

 

秋の草花は整然としていない方が何となく”らしく”見えてしまいます
秋の草花は整然としていない方が何となく”らしく”見えてしまいます

★美術館の楽しみ方は 2022.7

 

 きっかけはもう忘れてしまいましたが,6月に入る頃からずっと国立西洋美術館の企画展『自然と人のダイアローグ』に行きたいと思い,機会を伺っていました.この作品が見たい,という強い思いがあったわけではありませんが,コンセプトに妙に惹かれるものがあり,7月下旬,ようやく訪ねることができました.

 少々悩みもしましたが,やはり行ってよかったと思える出逢いがありました.特に心打たれたのは
 ♣アクセリ・ガッレン=カッレラの「ケイテレ湖」

 ♣クロード・モネの「睡蓮」
そして
 ♣ポール・シニャックの「サン=トロペの港」
でした.テーマごとに自然の捉え方や描き方の違いを楽しめました.
 ところで衝撃だったのは,館内は高い頻度で写真撮影がOKとなっていることでした.世界的な傾向でもあるらしいですが,名画が簡単に人の手(といいますかスマホ)に収められていく様子は少しだけカルチャーショックでした(言い過ぎか?).個人的には作品鑑賞に加えて「美術館の静謐な雰囲気を味わう派」ですので,申し訳なくもシャッター音などが気になって仕方なかったのですが,しかし「撮って楽しむ派」の人に良い措置だったのだろうと思います(多くの方が撮影を楽しまれていました).
 企画・運営側は大変とは思いつつ.今後,時間帯あるいは曜日などで「撮影OK」「撮影NG」が分けられるような風潮になるとよいなと思いながら帰路につきました.


★迷う自由 2022.5

 

 確か高校の国語の教科書に載っていたエッセイだったと思うのですが,世界中を長い間彷徨う羽目になりその間に幾人もの手に渡りながらようやく届いた封筒と,素早くダイレクトに相手に届くインターネットメールの対比された描写が述べられた文章があったな,と.何の手違いか予期せぬ”旅”をさせられてしまった封筒ですが,その旅で刻まれた年月や諸々を考えると,一方のメールには(一応)迷うだけの自由はありません.情報手段に味気なさを感じるのもなんですが,ふとそういう思考に至るときに,”国語のエッセイ”を思い出します(近いうちに図書館ででも確認してこようと思います.まだきっと載っているはず).

 都心のキャンパスに着任し,せっかくならば,と「気ままな都心巡検」をやり始めました.4月終わりには東大前から根津神社経由で春日方面へ,GW明けには神保町で所用(という名の健康診断)があり,古書街から気ままに飯田橋方面に歩き続けました.地理学科に籍をおく身ですが,地図は一切持たず,時折道路標識と街角の案内図を見る程度で歩きます.思いがけない場所や店,景色,地形に出逢ったときの心身の反応がなかなか面白いです.帰ってからルートマップをまとめる際に印象に残った地点を記録しています.…こう書いていて思いましたが,これでは巡検ではなく散歩ですね(脳内では地理学っぽい思考になっているのですが).

 迷っても何とかなる,迷える自由がある,というのは本当に贅沢なことです.脚を労りつつ,少しずつ都心の経験値を高めていきたく思っています.


★花を愛でる 2022.4

 

 しばらく徒然なるままに書かずにいました(「最近の傾向」に程よくネタが戻ってきたのはよい傾向かなとは思います.コロナ禍は気になりますが,外出制限も解かれたわけで)

 趣味としてのうまい表現が見つかりませんが,ふと目に入った花を愛でるのが好きです.野草であったり,街路樹であったり.

 今年のソメイヨシノやヤマザクラ系は雨風によく耐えて何日も楽しませてくれました.(高校時代にとある法師に教えられたからではなく)桜は散り際が好みですが,その後の八重桜は咲き誇っている頃合いが実においしく感じられます.

 小学5年生で参加した理科教室で,春に咲く黄色い花3点セットを教えてもらう機会がありました.レンギョウとビヨウヤナギと,あと1つはおそらくヤマブキだったと思います.おそらく,と書くのは最近道端で見かける”ヤマブキ”が図鑑に書かれているものと花弁の数が違うので記憶に自信がないのと同時に釈然としないでいます…

 ユキヤナギやドウダンツツジもかわいいです.そろそろツツジとサツキが入ってきますね.サツキは幼稚園に通っている頃に毎朝通園中に見るのが楽しみだった記憶と妙に結びついています.

 こうしてちょっと辿ってみると,花と古い記憶が何かしら絡んでいるように思います.花でも樹でも学生でも,名前を覚えるのは面白いものですし,これからも楽しみたいこれもひとつの趣味です.

 

 


★"巻物"の読み方 2022.1

 

 新年があけました(あけた気がしないのは,おせちもお雑煮も食べられなかったからかなと自己分析しています.悔しかったため”年越した蕎麦”は食しました…).まだ書けていない2021年の「動向」も(自分のために)記録しておきたいところです.

 社会的にも個人的にも落ち着かず,日々の生活から読書という名の活字が不足している中,昼休みに新聞を読むのが今は至福となっています.そのような次第で,ふと気になった記事から.

 「子どもの読書 電子化の波」(2022年1月11日朝日新聞朝刊)を読んで歯痒く感じました.学校向けの電子書籍定額読み放題のサービスを出版社が相次いで始めている,という内容です.1人1台の端末を与えることができる時代の中,サービスの導入によって読まれた冊数が増えた学校の事例も紹介されていました.「低学年のうちはなるべく紙の本に親しんでほしい」という学校司書のコメントや「紙と電子のバランスを組み立て直すことが必要」という識者のコメントが印象に残りました.

 さて,個人的に電子教科書の一斉導入には反対の立場です.紙資源の無駄を減らすためなら,もっと無駄な紙媒体が多々あります.教科書を背負うのが重くて体に負担という理由なら,その下がった体力に合わせるのではなく,見直すべき生活や社会環境があると考えます.

 では,電子書籍はどうか.何故歯痒く感じるのかを考えてみたのですが,はじめは自分をうまく納得させることができませんでした.文字や図を目で追えるのなら電子書籍でもよいのかも…目が疲れるかもしれないけれど”読む”ことはできるし,読んで思考することも一応はできる…

 どうも私は読書という行為だけではなく,図書のすべてを楽しむ派のようです.決まった”箱”で読む電子書籍よりも,図書それぞれの大きさや重さ,紙の質や厚み,表紙のデザイン,裏表紙の仕掛けを…背表紙すらも.また,しおりをはさむことも好きなようです.読後の達成感を覚えるのは”ここまで読んだ””まだこんなにある”を無意識でも視覚的に楽しんだからこそかもしれません.

 読みかけている学術書『読書教育を学ぶ人のために』(山本編2015)の中に,画面をスクロールして読む電子テキストは「巻物」に非常に近いものだと書かれていました(p.5).長い歴史の中で,巻物は次第に”丈夫で扱いやすく,テキストの保存に適していた(p.4)”冊子に淘汰されていきましたが,また”巻物”に戻っていく傾向にあるようです.

 私個人は,先に挙げたような楽しみのない”巻物”を読む習慣はまだ当分持てそうにありません.学生に読書感想文の課題をよく課していますが,内容だけではなく,図書の隅々にまで目を向けてもらう機会を別途設けてもよいのかもしれません.

 添書:このコラムを書き終えてふと思ったことには,

    今,私はまさにここで”巻物”を書いていたようです.

    (ちょっとショック…)

本文とは関係ありませんが,法政大学地理学会の学会ニュースで「地理学研究の窓」というコラムを執筆担当する機会がありました.何ということのない内容ですので,項目立てはせず,こっそりとここでお知らせします.上の写真はコラムに掲載したもののひとつです(詳しくはこちら ※PDFで開きます)


★おいでませ,同窓会 2022.11

 

  11月頭の”晴れの特異日”に,都立大同窓会によるホームカミングデーイベントが行われました.同窓会理事を仰せつかっていることもあって,受付をしたり,今年度初めての「大抽選会」で司会を務めたりとそれなりにお仕事をしました.イベント事は運営側なら尚のこと自分自身が楽しまねば損,が信条です.
 しかし,実のところいわゆる若い世代と同窓会との繋がりは希薄と言わざるを得ません.卒業したてで,まだ知っている後輩がサークルや部活動にいたり,ちょっとした催しを手伝ったり,ということで参加する卒業生もいるだろうと思いますが,それでも卒業後2~3年というところでしょうか.
 同窓会の新しいかたちとは何か,をふとした時に考えるようになりました.個々人で自由なコミュニケーションツールをもってしまった時代に,的確な答えを見出すのは至難の業なのかもしれません.

秋の深まった夕方に都立大の南大沢キャンパスにて.
右手の方に神々しい?富士山の姿が.


ジュネーヴ北部にあるアリアナ公園.

陶器とグラスを展示するここの美術館(写真左手)も写真撮影は可能でした.

つつじ苑@根津神社

やや終わりごろでしたが,知らなかった品種も楽しむことができました.

ボナソワードタワーを見上げながら

花桃も大変鮮やかでした

大学構内の蝋梅が咲きました

左記コラムで筆が乗ってしまったため,写真を追加

河口湖越しの富士山

(残念ながら初夢には登場せず)